▼ひと【NO.5】
染め付けした美濃焼300点 山本羅介さん

■無心に遊ぶ福童子
細い目、丸い頭、着物には漢字の「福」──。そんな子供たちが美濃焼の皿や鉢、茶碗で無心に遊び戯れる。中国風の服装や髪形なら唐子(からこ)だが、これは福童子と呼ばれる独自のキャラクターだ。
「福を授かるようにと願いを込めて名づけました」と作者の山本羅介(らかい)さん。名張市新田の堤側庵ギャラリーで3月1日まで6日間、「羅介の福童子染付器てん」を開いた。
伊賀市の出身で、大津市に住んで30年あまり。同ギャラリーを主宰する中内中さんと旧上野工業高校(伊賀白鳳高校の前身校のひとつ)デザイン科の同期だった縁から、毎年1回、欠かさず個展を開いてきた。今年が19年目になる。福童子を染め付けた磁器に大小の招き猫もまじり、約300点が披露された。
山本高史という本名で
切り絵を手がけ、そちらがいわば本業。下絵を描いただけの紙にカッターナイフで小さな穴を開けるようにして作品を仕上げていくが、「集中できるのはせいぜい5時間ほど。気分転換のために墨絵を始め、磁器に筆で絵を描く染め付けも手がけるようになりました」。いまでは制作時間の8割がたを切り絵以外に当てているという。
幼いころから美術を志し、小学1年生で旧上野市の洋画家、松浦莫章に師事した。高校で学んだデザインを生かすため、大阪の広告会社に就職。昭和45年の万博景気に沸く業界でデザインの才能を開花させたが、目指していたのは、あくまでも美術の道。「そのためには自分だけのモチーフを発見しなければ」と思案を重ねる日がつづいた。
模索するうち、瓦屋根にたどりついた。子供時代に絵を学んだあと、夕日を浴びた城下町を上野城から見下ろした記憶が鮮明に残っていた。今度は表現手段を手探りし、切り絵で試みたところ、モチーフと手法がぴったりとマッチした。手応えを感じて20代前半で会社を辞め、切り絵作家として独立。ライフワークと思い定めた瓦屋根を描きつづけた。
「最初2年ほどはきつかったですが、そのあとは評価してくれる人が増えてきました」。明るい月の光を浴びたように黒と白でくっきり表現された瓦屋根の切り絵は、大阪、東京などの個展で紹介され、反響を呼んだ。新進作家はたちまち美術界に独自の地位を占め、作品はミュージカル、映画、ポスター、装丁など幅広い分野で迎えられるようになった。
墨絵と染め付けの号「らかい」は、屋根瓦を意味する「いらか」を並べ替えたもの。平成9年に始まった「福童子展」は好評を受けて開催がつづき、現在では毎年数回、伊賀、名張両市と大阪、兵庫などでファンを集めている。福童子の絵を染め付けた作品は、美濃焼の伝統をもつ多治見市の窯で焼成しているが、準備には例年、ほぼ半年を要するという。
「切り絵と染め付けはまったく別個の世界です」という山本さん。高史のカッターナイフと羅介の筆を自由に持ち替えて、福童子のように自在にふたつの世界を行き来しているようだ。
「羅介の福童子染付器てん」は6月4日から11日まで伊賀市上野東町のヴァインケラーハシモトでも開催される。

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